日本名作速読朗読文庫 |
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名作速読朗読文庫vol.575渡辺 温全集 読上機能付き渡辺 温(わたなべ おん、1902年(明治35年)8月26日 – 1930年(昭和5年)2月10日)は、日本の推理作家・幻想小説家である。本名は温(ゆたか)。27の若さでなくなる 本文内容見本 2 赤い煙突 渡辺温 (――あたしの赤い煙突。なぜ煙を吐かないのかしら? お父さまとお母さまの煙突からは、あんなに沢山煙が出ているのに――) 彼女は七つの秋、扁桃腺炎を患って二階の窓の傍に寝かされた時、はじめてその不思議を発見した。 秋晴れの青空の中に隣の西洋館の屋根の煙出しが並んで三本あった。両側の二本は黒く真中のは赤い色をしていた。そしてその赤い色の一本はずっと小さくて何処か赤い沓下をはいた子供の脛のような形であった。彼女にはまるでその様子が父親と母親との間に挾まった自分であるかのように見えた。けれども、おかしいことにも、彼女は毎日々々寝床の中から殆どそれらの煙突ばかりを見ていたのだが、赤い色のはついぞ一度も煙を吐かなかった。――彼女は感動しやすい子供だったので、その小さな煙突をひどく可哀相に思って、しまいには泪を浮かべて眺めた。(――あたしの赤い煙突は屹度病気なんだわ――)と彼女は思った。 併し、間もなく彼女の病気は癒ったが、彼女の赤い煙突はやはり煙を吐かなかった。 代表作品 少女 兵隊の死 嘘 氷れる花嫁 父を失ふ話 シルクハット ああ華族様だよと私は嘘を吐(つ)くのであった アンドロギュノスの裔(ちすじ) こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.575渡辺 温全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
575 | 1 | 渡辺 温 | ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった | 3122 |
575 | 2 | 渡辺 温 | 赤い煙突 | 6718 |
575 | 3 | 渡辺 温 | 或る母の話 | 7004 |
575 | 4 | 渡辺 温 | アンドロギュノスの裔 | 5796 |
575 | 5 | 渡辺 温 | イワンとイワンの兄 | 4212 |
575 | 6 | 渡辺 温 | 牛込館 映画館めぐり(十) | 1302 |
575 | 7 | 渡辺 温 | 嘘 | 9038 |
575 | 8 | 渡辺 温 | 絵姿 The Portrate of Dorian Gray | 11896 |
575 | 9 | 渡辺 温 | 遺書に就て | 10310 |
575 | 10 | 渡辺 温 | 可哀相な姉 | 7641 |
575 | 11 | 渡辺 温 | 恋 | 3840 |
575 | 12 | 渡辺 温 | 氷れる花嫁 | 1600 |
575 | 13 | 渡辺 温 | 四月馬鹿 | 9042 |
575 | 14 | 渡辺 温 | 十年後の映画界 | 3434 |
575 | 15 | 渡辺 温 | 少女 | 5602 |
575 | 16 | 渡辺 温 | 勝敗 | 10670 |
575 | 17 | 渡辺 温 | シルクハット | 2077 |
575 | 18 | 渡辺 温 | 象牙の牌 | 16399 |
575 | 19 | 渡辺 温 | 父を失う話 | 3098 |
575 | 20 | 渡辺 温 | 花嫁の訂正 ――夫婦哲学 | 8589 |
575 | 21 | 渡辺 温 | 薔薇の女 | 1765 |
575 | 22 | 渡辺 温 | 風船美人 | 6439 |
575 | 23 | 渡辺 温 | 兵士と女優 | 3267 |
575 | 24 | 渡辺 温 | 兵隊の死 | 712 |
575 | 25 | 渡辺 温 | 浪漫趣味者として | 4632 |
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名作速読朗読文庫vol.576小島 烏水全集 読上機能付き小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。 1873年香川県高松生まれ。横浜商業学校卒業。横浜正金銀行に入行。銀行は定年まで勤め、シアトル支店長などを歴任。横浜商業学校時代に友人と雑誌『学燈』を編集するなど、早くから文筆に興味を持つ。銀行に入ってから、1896年に出した『一葉女史』により評論家として世に注目される。また、登山家としても知られ、1897年立川から甲府の昇仙峡まで徒歩で青梅街道を歩く、1899年休暇に浅間山 – 木曽へ山旅するなど、旅を趣味とした。『日本風景論』(志賀重昂、1894年)の影響もあるといわれ、中部地方の山々(日本アルプス)へ入るようになる。木暮理太郎、田山花袋、バジル・ホール・チェンバレン(王堂チェンバレン)、ウォルター・ウェストンと交遊がある。1905年、日本山岳会初代会長となる。横浜正金銀行から派遣されてシアトルの他サンフランシスコやロサンジェルスにも滞在しており、その際にはシエラ・ネバダ山脈やカスケード山脈にも足跡を残している。また、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家としても知られ、収集した浮世絵や西洋版画のうち900点余りが、横浜美術館に収蔵されている。横浜美術館編『小島烏水版画コレクション 山と文学、そして美術』(大修館書店、2007年)や沼田英子『小島烏水西洋版画コレクション』(有隣堂、2003年)がある。 本文内容見本 5 白峰山脈縦断記 小島烏水 緒言 前年雨のために失敗した白峰《しらね》山登りを、再びするために、今年(四十一年)は七月下旬 高頭式《たかとうしょく》、田村政七両氏と共に鰍沢《かじかざわ》へ入った、宿屋は粉屋であった、夕飯の終るころ、向い合った室から、一人の青年が入って来た、私たちが、先刻から頻《しきり》に白峰、白峰と話すのを聞いて、もしやそれかと思って、宿帳で、姓名を見てそれと知った、というので同行を申し込まれたのである、大阪高等工業学校の生徒、倉橋藤次郎氏である、一人でも同行者を増した心強さは、言うまでもない。 翌朝例の通り、人夫を《やと》って、西山峠を越えた、妙法寺の裏から、去年とは違った道――北海とも、柳川《やかわ》通りともいうそうだ――を登った、そうしてデッチョウの茶屋の前で、去年の登り道と一ツに合った。 このたびは霧がなかった、紫の花咲くクカイ草、蘭に似た黄色の花を垂れるミヤマオダマキが、肉皮脱落して白く立っている樅《もみ》の木を、遠く見て、路傍にしなやかに俯向《うつむ》いている、熊笹が路には多い。 四方の切れた谷を隔てて、近くに古生層の源氏山を見る、去年は、どうしてこの山が、気が注《つ》かなかったろうと思う。 代表作品 梓川の上流 上高地風景保護論 高山の雪 白峰山脈縦断記 雪中富士登山記 谷より峰へ峰より谷へ 菜の花 日本山岳景の特色 火と氷のシャスタ山 不尽の高根 雪の白峰 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.576小島 烏水全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
576 | 1 | 小島 烏水 | 梓川の上流 | 11903 |
576 | 2 | 小島 烏水 | 上高地風景保護論 | 4464 |
576 | 3 | 小島 烏水 | 紀行文家の群れ 田山花袋氏 | 4482 |
576 | 4 | 小島 烏水 | 高山の雪 | 13064 |
576 | 5 | 小島 烏水 | 白峰山脈縦断記 | 33790 |
576 | 6 | 小島 烏水 | 雪中富士登山記 | 5428 |
576 | 7 | 小島 烏水 | 谷より峰へ峰より谷へ | 38128 |
576 | 8 | 小島 烏水 | 菜の花 | 2078 |
576 | 9 | 小島 烏水 | 日本山岳景の特色 | 7492 |
576 | 10 | 小島 烏水 | 火と氷のシャスタ山 | 9200 |
576 | 11 | 小島 烏水 | 不尽の高根 | 27858 |
576 | 12 | 小島 烏水 | 槍ヶ岳第三回登山 | 5267 |
576 | 13 | 小島 烏水 | 雪の白峰 | 6052 |
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名作速読朗読文庫vol.577葉山 嘉樹全集 読上機能付き葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 – 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。 「牢獄の半日」を執筆し雑誌『文芸戦線』に発表する。1925年(大正14年)出獄後、「淫売婦」「セメント樽の中の手紙」を『文芸戦線』に、「海に生くる人々」を改造社から書き下ろしで発表し、これにより葉山は一躍文壇の新進作家となる。葉山の作品は、人間の自然な感情をのびのびと描き、なおかつ芸術的完成度が高かった。特に「海に生くる人々」は、日本プロレタリア文学の傑作といわれる。プロレタリア文学運動が、『戦旗』派と『文芸戦線』に分かれたとき、文芸戦線』派に属し、その代表的な作家として活動した。故郷のみやこ町(当時は豊津町)八景山に文学碑が設立された。本文内容見本2.1 海に生くる人々 葉山嘉樹一 室蘭港《むろらんこう》が奥深く入り込んだ、その太平洋への湾口《わんこう》に、大黒島《だいこくとう》が栓《せん》をしている。雪は、北海道の全土をおおうて地面から、雲までの厚さで横に降りまくった。 汽船 万寿丸《まんじゅまる》は、その腹の中へ三千トンの石炭を詰め込んで、風雪の中を横浜へと進んだ。船は今大黒島をかわろうとしている。その島のかなたには大きな浪《なみ》が打っている。万寿丸はデッキまで沈んだその船体を、太平洋の怒濤《どとう》の中へこわごわのぞけて見た。そして思い切って、乗り出したのであった。彼女がその臨月のからだで走れる限りの速力が、ブリッジからエンジンへ命じられた。 冬期における北海航路の天候は、いつでも非常に険悪であった。 代表作品 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
577 | 1 | 葉山 嘉樹 | 淫売婦 | 14689 |
577 | 2 | 葉山 嘉樹 | 海に生くる人々1 | 83396 |
577 | 3 | 葉山 嘉樹 | 海に生くる人々2 | 83492 |
577 | 4 | 葉山 嘉樹 | 坑夫の子 | 5663 |
577 | 5 | 葉山 嘉樹 | 死屍を食う男 | 7913 |
577 | 7 | 葉山 嘉樹 | 信濃の山女魚の魅力 | 2379 |
577 | 8 | 葉山 嘉樹 | 浚渫船 | 5161 |
577 | 9 | 葉山 嘉樹 | セメント樽の中の手紙 | 2788 |
577 | 10 | 葉山 嘉樹 | 乳色の靄 | 10728 |
577 | 11 | 葉山 嘉樹 | 生爪を剥ぐ | 4043 |
577 | 12 | 葉山 嘉樹 | 牢獄の半日 | 7625 |
577 | 13 | 葉山 嘉樹 | 労働者の居ない船 | 9022 |
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名作速読朗読文庫vol.579黒島 伝治全集1 読上機能付き黒島 伝治(くろしま でんじ、1898年12月12日 – 1943年10月17日)は、日本の小説家である。1919年には兵役の召集を受け姫路の連隊に在営、シベリア出兵に看護卒として従軍した。この体験が、彼の代表作である『渦巻ける烏の群』『橇』などの〈シベリアもの〉とよばれる日本文学史上稀有な戦争文学として結実することとなる。『文芸戦線』同人だったものの、母体の労農芸術家連盟の粛正を要求して離脱。更に全日本無産者芸術連盟(ナップ)へと参加するものの、1930年代始め頃に肺病に罹患して故郷・小豆島に隠棲、1943年に生涯を閉じる。郷里には文学碑が建てられている。 本文内容見本 4 渦巻ける烏の群 黒島伝治 一 「アナタア、ザンパン、頂だい。」 子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套《がいとう》にくるまって、頭を襟の中に埋《うず》めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のような雪がはみこんでいる。 松木は、防寒靴をはき、ズボンのポケットに両手を突きこんで、炊事場の入口に立っていた。 風に吹きつけられた雪が、窓硝子《まどガラス》を押し破りそうに積りかかっていた。谷間の泉から湧き出る水は、その周囲に凍《い》てついて、氷の岩が出来ていた。それが、丁度、地下から突き出て来るように、一昨日よりは昨日、昨日よりは今日の方がより高くもれ上って来た。彼は、やはり西伯利亜《シベリア》だと思った。氷が次第に地上にもれ上って来ることなどは、内地では見られない現象だ。 子供達は、言葉がうまく通じないなりに、松木に憐れみを求め、こびるような顔つきと態度とを五人が五人までしてみせた。 彼等が口にする「アナタア」には、露骨にこびたアクセントがあった。「ザンパンない?」子供達は繰かえした。「――アナタア! 頂だい、頂だい!」「あるよ。持って行け。」 代表作品 渦巻ける烏の群 海賊と遍路 鍬と鎌の五月 四季とその折々 自伝 小豆島 選挙漫談 前哨 橇 短命長命 チチハルまで 電報 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.579黒島 伝治全集1 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
579 | 1 | 黒島 伝治 | 愛読した本と作家から | 1429 |
579 | 2 | 黒島 伝治 | 穴 | 11313 |
579 | 3 | 黒島 伝治 | 田舎から東京を見る | 1508 |
579 | 4 | 黒島 伝治 | 渦巻ける烏の群 | 17796 |
579 | 5 | 黒島 伝治 | 海賊と遍路 | 2291 |
579 | 6 | 黒島 伝治 | 外米と農民 | 3417 |
579 | 7 | 黒島 伝治 | 鍬と鎌の五月 | 2921 |
579 | 8 | 黒島 伝治 | 国境 | 10626 |
579 | 9 | 黒島 伝治 | 砂糖泥棒 | 4194 |
579 | 10 | 黒島 伝治 | 自画像 | 2163 |
579 | 11 | 黒島 伝治 | 四季とその折々 | 856 |
579 | 12 | 黒島 伝治 | 自伝 | 1211 |
579 | 13 | 黒島 伝治 | 小豆島 | 1602 |
579 | 14 | 黒島 伝治 | 選挙漫談 | 2609 |
579 | 15 | 黒島 伝治 | 前哨 | 8828 |
579 | 16 | 黒島 伝治 | 戦争について | 1425 |
579 | 17 | 黒島 伝治 | 橇 | 11871 |
579 | 18 | 黒島 伝治 | 短命長命 | 2103 |
579 | 19 | 黒島 伝治 | チチハルまで | 1335 |
579 | 20 | 黒島 伝治 | 電報 | 6542 |
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名作速読朗読文庫vol.580黒島 伝治全集2 読上機能付き黒島 伝治(くろしま でんじ、1898年12月12日 – 1943年10月17日)は、日本の小説家である。1919年には兵役の召集を受け姫路の連隊に在営、シベリア出兵に看護卒として従軍した。この体験が、彼の代表作である『渦巻ける烏の群』『橇』などの〈シベリアもの〉とよばれる日本文学史上稀有な戦争文学として結実することとなる。『文芸戦線』同人だったものの、母体の労農芸術家連盟の粛正を要求して離脱。更に全日本無産者芸術連盟(ナップ)へと参加するものの、1930年代始め頃に肺病に罹患して故郷・小豆島に隠棲、1943年に生涯を閉じる。郷里には文学碑が建てられている。 本文内容見本 9 氷河 黒島傳治 一 市街の南端の崖の下に、黒龍江が遥かに凍結していた。 馬に曳かれた橇が、遠くから河の上を軽く辷って来る。 兵営から病院へ、凍った丘の道を栗本は辷らないように用心しい登ってきた。負傷した同年兵たちの傷口は、彼が見るたびによくなっていた。まもなく、病院列車で後送になり、内地へ帰ってしまうだろう。――病院の下の木造家屋の中から、休職大佐の娘の腕をとって、五体の大きいメリケン兵が、扉《ドア》を押しのけて歩きだした。十六歳になったばかりの娘は、せいも、身体のはゞも、メリケン兵の半分くらいしかなかった。太い、しっかりした腕に、娘はぶら下って、ちょか早足に踵の高い靴をかわした。「馭者《イズウオシチイク》! 馭者《》!」 ころげそうになる娘を支えて、アメリカ兵は靴のつまさきに注意を集中して丘を下った。娘の外套は、メリケン兵の膝頭でひらひるがえった。街へあいびきに出かけているのだ。 代表作品 渦巻ける烏の群 海賊と遍路 鍬と鎌の五月 四季とその折々 自伝 小豆島 選挙漫談 前哨 橇 短命長命 チチハルまで 電報 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.580黒島 伝治全集2 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
580 | 1 | 黒島 伝治 | 豚群 | 7217 |
580 | 2 | 黒島 伝治 | 二銭銅貨 | 3051 |
580 | 3 | 黒島 伝治 | 入営する青年たちは何をなすべきか | 3677 |
580 | 4 | 黒島 伝治 | 入営前後 | 2324 |
580 | 5 | 黒島 伝治 | 窃む女 | 8847 |
580 | 6 | 黒島 伝治 | 農民文学の問題 | 3853 |
580 | 7 | 黒島 伝治 | パルチザン・ウォルコフ | 15771 |
580 | 8 | 黒島 伝治 | 反戦文学論 | 13515 |
580 | 9 | 黒島 伝治 | 氷河 | 20710 |
580 | 10 | 黒島 伝治 | 武装せる市街1 | 58637 |
580 | 11 | 黒島 伝治 | 武装せる市街2 | 58136 |
580 | 12 | 黒島 伝治 | 浮動する地価 | 14107 |
580 | 13 | 黒島 伝治 | 防備隊 | 1468 |
580 | 15 | 黒島 伝治 | まかないの棒 | 4583 |
580 | 16 | 黒島 伝治 | 明治の戦争文学 | 11889 |
580 | 17 | 黒島 伝治 | 名勝地帯 | 1340 |
580 | 18 | 黒島 伝治 | 土鼠と落盤 | 17858 |
580 | 19 | 黒島 伝治 | 「紋」 | 4456 |
580 | 20 | 黒島 伝治 | 雪のシベリア | 9439 |
580 | 21 | 黒島 伝治 | 老夫婦 | 13015 |
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名作速読朗読文庫vol.582山中 貞雄全集 読上機能付き山中 貞雄(やまなか さだお、1909年(明治42年)11月8日 – 1938年(昭和13年)9月17日)は、日本の映画監督、脚本家である。京都府生まれ。山中は22歳の若さでインテリ評論層から「日本映画界の巨匠」扱いされた1934年(昭和9年)からは、それぞれが所属する映画会社の枠組を越え、山中、稲垣浩、滝沢英輔、土肥正幹、三村伸太郎、藤井滋司、萩原遼、八尋不二の8名の俊才とシナリオ集団「鳴滝組」を結成、「梶原金八」の共同ペンネームで22作を発表した。時代劇映画に大きな革新を生み、批評家以上に観衆からも大きな支持を得ていた。交友関係も広かった 本文内容見本 10 森の石松 山中貞雄 森の石松 日活京都 原作・脚色・監督 山中貞雄 撮影 荒木朝二郎 録音 中村敏夫 音楽 西梧郎 キャスト 森の石松 黒川弥太郎 石松女房 お半 花井蘭子 父親 源兵衛 横山運平 妹 お静 深水藤子 小松村の七五郎 清川荘司 お勘婆さん 小松みどり 清水次郎長 鳥羽陽之助 武井の安五郎 香川良介 都田村の吉兵衛 今成平九郎 大瀬の半五郎 磯川勝彦 旅人 広造 松下猛男 同 虎三 若松文男 神沢の小五郎 南城竜之助 法印大五郎 紺尾清 桝川仙右衛 楠栄三郎 荒川の新太 小森敏 保下田の久六 左文字一郎 酌婦 おろく 伊村利江子 S=街道筋茶店の表 遠州森町の近く。 秋晴れの或る日。 渡世人らしい旅人が一人休んで居る。 茶店の娘お静、茶を持って来る。 「姐さん草鞋があるかい」 「え、御座います」 「そうかい、じゃ一つくんな」 「はい」 代表作品 右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法 気まま者の日記 恋と十手と巾着切小説 陣中日誌(遺稿) 附・戦線便り 中村仲蔵 なりひら小僧 武蔵旅日記 森の石松 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.582山中 貞雄全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
582 | 1 | 山中 貞雄 | 右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法 | 12142 |
582 | 2 | 山中 貞雄 | 気まま者の日記 | 1702 |
582 | 3 | 山中 貞雄 | 恋と十手と巾着切 | 11597 |
582 | 4 | 山中 貞雄 | 五題 | 1375 |
582 | 5 | 山中 貞雄 | 雑録 前進座に就いて | 696 |
582 | 6 | 山中 貞雄 | 陣中日誌(遺稿) 附・戦線便り | 7851 |
582 | 7 | 山中 貞雄 | 中村仲蔵 | 22224 |
582 | 8 | 山中 貞雄 | なりひら小僧 | 8536 |
582 | 9 | 山中 貞雄 | 武蔵旅日記 | 11841 |
582 | 10 | 山中 貞雄 | 森の石松 | 22639 |
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名作速読朗読文庫vol.583南方 熊楠全集 読上機能付き南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) – 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。 本文内容見本 3 十二支考 虎に関する史話と伝説民俗 南方熊楠 (一)名義の事 虎 梵《ぼん》名ヴィヤグラ、今のインド語でバグ、南インドのタミル語でピリ、ジャワ名マチャム、マレー名リマウ、アラブ名ニムル、英語でタイガー、その他欧州諸国大抵これに似おり、いずれもギリシアやラテンのチグリスに基づく。そのチグリスなる名は古ペルシア語のチグリ(箭《や》)より出で、虎の駛《はや》く走るを箭の飛ぶに比べたるに因るならんという。わが国でも古来虎を実際見ずに千里を走ると信じ、戯曲に清正の捷疾《すばやさ》を賞して千里一跳虎之助《せんりひとはねとらのすけ》などと洒落《しゃれ》て居る。プリニの『博物志』に拠れば生きた虎をローマ人が初めて見たのはアウグスッス帝の代だった。それより前に欧州人が実物を見る事極めて罕《まれ》だったから、虎が餌を捕うるため跳る疾《はや》さをペルシアで箭の飛ぶに比べたのを聞き違えてかプリニの第八巻二十五章にこんな言《こと》を述べて居る。曰《いわ》く「ヒルカニアとインドに虎あり疾く走る事驚くべし。子を多く産むその子ことごとく取り去られた時最も疾く走る。例えば猟夫 間《ひま》に乗じその子供を取りて馬を替えて極力 馳《は》せ去るも、父虎もとより一向子の世話を焼かず。 代表作品 失うた帳面を記憶力で書き復した人 易の占いして金取り出したること 十二支考 01 虎に関する史話と伝説 十二支考 02 兎に関する民俗と伝説 十二支考 03 田原藤太竜宮入りの話 十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説 十二支考 05 馬に関する民俗と伝説 十二支考 06 羊に関する民俗と伝説 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.583南方 熊楠全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
583 | 1 | 南方 熊楠 | 失うた帳面を記憶力で書き復した人 | 3080 |
583 | 2 | 南方 熊楠 | 易の占いして金取り出したること | 2765 |
583 | 3 | 南方 熊楠 | 十二支考 01 虎に関する史話と伝説民俗 | 62579 |
583 | 4 | 南方 熊楠 | 十二支考 02 兎に関する民俗と伝説 | 21229 |
583 | 5 | 南方 熊楠 | 十二支考 03 田原藤太竜宮入りの話 | 72023 |
583 | 6 | 南方 熊楠 | 十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説 | 65561 |
583 | 7 | 南方 熊楠 | 十二支考 05 馬に関する民俗と伝説1 | 50585 |
583 | 8 | 南方 熊楠 | 十二支考 05 馬に関する民俗と伝説2 | 50893 |
583 | 9 | 南方 熊楠 | 十二支考 06 羊に関する民俗と伝説 | 12162 |
583 | 10 | 南方 熊楠 | 十二支考 07 猴に関する伝説 | 75146 |
583 | 11 | 南方 熊楠 | 十二支考 08 鶏に関する伝説 | 72089 |
583 | 12 | 南方 熊楠 | 十二支考 09 犬に関する伝説 | 32806 |
583 | 13 | 南方 熊楠 | 十二支考 10 猪に関する民俗と伝説 | 42792 |
583 | 14 | 南方 熊楠 | 十二支考 11 鼠に関する民俗と信念 | 38797 |
583 | 15 | 南方 熊楠 | 神社合祀に関する意見 | 34609 |
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名作速読朗読文庫vol.585鈴木 三重吉全集 読上機能付き鈴木 三重吉(すずき みえきち、1882年(明治15年)9月29日 – 1936年(昭和11年)6月27日)は、広島県広島市出身の小説家・児童文学者。日本の児童文化運動の父とされる 本文内容見本 1 黄金鳥 鈴木三重吉 一 貧乏な百姓《ひゃくしょう》の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。 けれども、そんなふうに家《うち》がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親《なつけおや》になってくれるものがありませんでした。 夫婦はどうしたらいいかと、こまっていました。すると、或《ある》朝、一人のよぼよぼの乞食《こじき》のじいさんが、ものをもらいに来ました。夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。 乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話しました。じいさんはそれを聞いて、「では私《わたし》がなって上げましょう。私だからと言って、さきでお悔《くや》みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。 代表作品 黄金鳥 古事記物語 湖水の女 大震火災記 千鳥 デイモンとピシアス ぶくぶく長々火の目小僧 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.585鈴木 三重吉全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
585 | 1 | 鈴木 三重吉 | 黄金鳥 | 13523 |
585 | 2 | 鈴木 三重吉 | 岡の家 | 2876 |
585 | 3 | 鈴木 三重吉 | 古事記物語1 | 58467 |
585 | 4 | 鈴木 三重吉 | 古事記物語2 | 57161 |
585 | 5 | 鈴木 三重吉 | 湖水の女 | 5818 |
585 | 6 | 鈴木 三重吉 | 大震火災記 | 12291 |
585 | 7 | 鈴木 三重吉 | 千鳥 | 21350 |
585 | 8 | 鈴木 三重吉 | デイモンとピシアス 小説 | 4859 |
585 | 9 | 鈴木 三重吉 | ぶくぶく長々火の目小僧 | 11971 |
585 | 10 | 鈴木 三重吉 | やどなし犬 | 9748 |
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名作速読朗読文庫vol.586堺 利彦全集 読上機能付き堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) – 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。 本文内容見本 7 私の母 堺利彦 私の母、名は琴《こと》、志津野《しづの》氏、父より二つの年下で、父に取っては後添えであった。父の初めの妻は小石氏で、私の長兄平太郎を残して死んだ。そのあとに私の母が来て、私の次兄 乙槌《おとつち》と私とを生んだ。私の母が私を生んだのが四十二歳の時、兄を生んだのが三十八歳の時だったはずだから、思うに、母は三十六、七歳の時、堺家にとついだものだろう。 かように母はずいぶんの晩婚であった。それには理由がある。もっとも、そんなことは、私が大人《おとな》になってから独りで自然に考えついたことで、誰に話を聞いたのでもなく、また少年の頃は全く何の気もつかずにいたことである。母は甚だしいジャモクエであった。その頃の人としては、「キンカ上品、ジャモ柔和」というコトワザがあった位で、一通りのジャモなら一向問題にならなかったのだが、母のジャモはかなりひどかった。鼻の穴が片方はほとんど塞がっており、鼻筋は全く平らに押しつぶされていた。 代表作品 赤旗事件の回顧 面白き二個の広告随筆 獄中生活 貧を記す 婦人の天職 私の父 私の母 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.586堺 利彦全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
586 | 1 | 堺 利彦 | 赤旗事件の回顧 | 5698 |
586 | 2 | 堺 利彦 | 面白き二個の広告随筆 | 1205 |
586 | 3 | 堺 利彦 | 獄中生活 | 15266 |
586 | 4 | 堺 利彦 | 貧を記す | 1365 |
586 | 5 | 堺 利彦 | 婦人の天職 | 1798 |
586 | 6 | 堺 利彦 | 私の父 | 5949 |
586 | 7 | 堺 利彦 | 私の母 | 5585 |
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名作速読朗読文庫vol.587内田 魯庵全集 読上機能付き内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年4月27日(慶応4年4月5日) – 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 本文内容見本 8 斎藤緑雨 内田魯庵 「僕は、本月本日を以て目出たく死去 仕《つかまつり》候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨《さいとうりょくう》が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。緑雨以後真の江戸ッ子文学は絶えてしまった。 紅葉も江戸ッ子作者の流れを汲《く》んだが、紅葉は平民の子であっても山の手の士族町に育って大学の空気を吸った。緑雨は士族の家に生れたが、下町《したまち》に育って江戸の気分にヨリ多く浸っていた。緑雨の最後の死亡自家広告は三馬《さんば》や一九《いっく》やその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって、緑雨は死の瞬間までもイイ気持になって江戸の戯作者の浮世三 分《ぶん》五厘の人生観を歌っていたのだ。 この緑雨の死亡自家広告と旅順《りょじゅん》の軍神 広瀬《ひろせ》中佐の海軍葬広告と相隣りしていたというはその後聞いた咄《はなし》であるが、これこそ真に何たる偶然の皮肉であろう。 代表作品 淡島椿岳 ―画界のハイブリッド 鴎外博士の追憶 灰燼十万巻 (丸善炎上の記) 駆逐されんとする文人 最後の大杉 斎藤緑雨 八犬伝談余 美妙斎美妙 二葉亭四迷の一生 文明国には必ず智識ある高等遊民あり こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.587内田 魯庵全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
587 | 1 | 内田 魯庵 | 淡島椿岳 ―画界のハイブリッド―― | 31755 |
587 | 2 | 内田 魯庵 | 鴎外博士の追憶 | 10185 |
587 | 3 | 内田 魯庵 | 温情の裕かな夏目さん | 3028 |
587 | 4 | 内田 魯庵 | 灰燼十万巻 (丸善炎上の記) | 11500 |
587 | 5 | 内田 魯庵 | 駆逐されんとする文人 | 5459 |
587 | 6 | 内田 魯庵 | 硯友社の勃興と道程 ――尾崎紅葉―― | 37321 |
587 | 7 | 内田 魯庵 | 最後の大杉 | 13085 |
587 | 8 | 内田 魯庵 | 斎藤緑雨 | 12560 |
587 | 9 | 内田 魯庵 | 三十年前の島田沼南 | 15183 |
587 | 10 | 内田 魯庵 | 二十五年間の文人の社会的地位の進歩 | 10094 |
587 | 11 | 内田 魯庵 | 八犬伝談余 | 25398 |
587 | 12 | 内田 魯庵 | 美妙斎美妙 | 14056 |
587 | 13 | 内田 魯庵 | 二葉亭四迷 ――遺稿を整理して―― | 2427 |
587 | 14 | 内田 魯庵 | 二葉亭四迷の一生 | 59579 |
587 | 15 | 内田 魯庵 | 二葉亭追録 | 9729 |
587 | 16 | 内田 魯庵 | 二葉亭余談 | 25934 |
587 | 17 | 内田 魯庵 | 文明国には必ず智識ある高等遊民あり | 937 |
587 | 18 | 内田 魯庵 | 明治の文学の開拓者 ――坪内逍遥―― | 4718 |
587 | 19 | 内田 魯庵 | 四十年前 ――新文学の曙光―― | 9305 |
587 | 20 | 内田 魯庵 | 露伴の出世咄 | 1909 |
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名作速読朗読文庫vol.588大杉 栄全集 読上機能付き大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 – 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家である。 本文内容見本 5 獄中記 大杉栄 市ヶ谷の巻 前科割り 東京監獄の未決監に「前科割り」というあだ名の老看守がいる。 被告人どもは裁判所へ呼び出されるたびに、一と馬車(この頃は自動車になったが)に乗る十二、三人ずつ一組になって、薄暗い広い廊下のあちこちに一列にならべさせられる、そしてそこで、手錠をはめられたり腰縄をかけられたりして、護送看守部長の点呼を受ける。「前科割り」の老看守は一組の被告人に普通二人ずつつくこの護送看守の一人なのだ。いつ頃からこの護送の役目についたのか、またいつ頃からこの「前科割り」のあだ名を貰ったのか、それは知らない。しかし、少なくとももう三十年くらいは、監獄の飯を食っているに違いない。年は六十にとどいたか、まだか、くらいのところだろう。 被告人どもが廊下に呼び集められた時、この老看守は自分の受持の組は勿論、十組あまりのほかの組の列までも見廻って、その受持看守から、「索引」をかりて、それとみんなの顔とを見くらべて歩く。「索引」というのは被告人の原籍、身分、罪名、人相などを書きつけたいわばまあカードだ。「お前はどこかで見たことがあるな。」 代表作品 獄中記 獄中消息 自叙伝 新秩序の創造 青年に訴う 生の拡充 征服の事実 続獄中記 日本脱出記 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.588大杉 栄全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
588 | 1 | 大杉 栄 | 新しき世界の為めの新しき芸術 | 12411 |
588 | 2 | 大杉 栄 | 革命の研究 | 15545 |
588 | 3 | 大杉 栄 | 共産食堂 | 2203 |
588 | 4 | 大杉 栄 | 鎖工場 | 4789 |
588 | 5 | 大杉 栄 | 獄中記 | 28749 |
588 | 6 | 大杉 栄 | 獄中消息 | 55152 |
588 | 7 | 大杉 栄 | 自叙伝1 | 59994 |
588 | 8 | 大杉 栄 | 自叙伝2 | 53575 |
588 | 9 | 大杉 栄 | 新秩序の創造 評論の評論 | 3526 |
588 | 10 | 大杉 栄 | 青年に訴う | 20100 |
588 | 11 | 大杉 栄 | 生の拡充 | 3851 |
588 | 12 | 大杉 栄 | 征服の事実 | 4027 |
588 | 13 | 大杉 栄 | 続獄中記 | 24142 |
588 | 14 | 大杉 栄 | 男女関係について 一情婦の心情を語る文 | 13750 |
588 | 15 | 大杉 栄 | 奴隷根性論 | 5829 |
588 | 16 | 大杉 栄 | 日本脱出記 | 75547 |
588 | 17 | 大杉 栄 | 僕は精神が好きだ | 352 |
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名作速読朗読文庫vol.590倉田 百三全集 読上機能付き倉田 百三(くらた ひゃくぞう(または くらた ももぞう)、1891年(明治24年)2月23日 – 1943年(昭和18年)2月12日)は、日本の劇作家、評論家で大正、昭和初期に活躍した。広島県庄原市には、倉田百三文学館がある。 本文内容見本 1.1 愛と認識との出発 倉田百三 この書を後れて来たる青年に贈る 兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。 ――ヨハネ第一書第二章より―― 憧憬 ――三之助の手紙―― 哲学者は淋しい甲蟲《かぶとむし》である。 故ゼームス博士はこうおっしゃった。心憎くもいじらしき言葉ではないか。思えば博士は昨年の夏、チョコルアの別荘で忽然として長逝せられたのであった。博士の歩みたまいし寂しき路を辿《たど》り行かんとするわが友よ、私はこの一句を口吟《くちずさ》むとき、髯《ひげ》の疎《まば》らな目の穏やかな博士の顔がまざまざと見え、たとえば明るい――といっても月の光で微《ほの》白い園で、色を秘した黒い花の幽《かす》かなる香を嗅《か》ぎながら、無量の哀調を聞くごとくそぞろに涙ぐまるるのである。しこうしてこうして哀愁に包まれたとき私が常になすがごとくに今日も君に書く気になったのだ。 代表作品 愛と認識との出発 愛の問題(夫婦愛) ――生命の法に随う 学生と先哲 ――予言僧日蓮 学生と読書 ――いかに書を読むべきか 芸術上の心得 出家とその弟子 俊寛 人生における離合について 生活と一枚の宗教 青春の息の痕 光り合ういのち こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.590倉田 百三全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
590 | 1 | 倉田 百三 | 愛と認識との出発1 | 48089 |
590 | 2 | 倉田 百三 | 愛と認識との出発2 | 67006 |
590 | 3 | 倉田 百三 | 愛と認識との出発3 | 77415 |
590 | 4 | 倉田 百三 | 愛の問題(夫婦愛)生命の法に随う | 4494 |
590 | 5 | 倉田 百三 | 学生と教養 ――教養と倫理学 随筆 | 18636 |
590 | 6 | 倉田 百三 | 学生と生活 ――恋愛―― | 16905 |
590 | 7 | 倉田 百三 | 学生と先哲 ――予言僧日蓮 随筆 | 19668 |
590 | 7 | 倉田 百三 | 学生と読書 ――いかに書を読むべきか―― | 8031 |
590 | 8 | 倉田 百三 | 芸術上の心得 | 1332 |
590 | 9 | 倉田 百三 | 出家とその弟子1 | 47222 |
590 | 10 | 倉田 百三 | 出家とその弟子2 | 78239 |
590 | 11 | 倉田 百三 | 『出家とその弟子』の追憶 | 1944 |
590 | 12 | 倉田 百三 | 俊寛 | 48760 |
590 | 13 | 倉田 百三 | 女性の諸問題 | 13467 |
590 | 14 | 倉田 百三 | 人生における離合について | 7435 |
590 | 15 | 倉田 百三 | 生活と一枚の宗教 | 69825 |
590 | 16 | 倉田 百三 | 青春の息の痕1 | 71741 |
590 | 16 | 倉田 百三 | 青春の息の痕2 | 56258 |
590 | 17 | 倉田 百三 | 光り合ういのち1 | 69165 |
590 | 18 | 倉田 百三 | 光り合ういのち2 | 60556 |
590 | 19 | 倉田 百三 | 婦人と職業 | 2503 |
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名作速読朗読文庫vol.591若杉 鳥子全集 読上機能付き
若杉 鳥子 は1892-1937 大正-昭和時代前期の小説家。明治25年12月25日生まれ。茨城県古河の芸者置屋の養女となるが,家業をきらって上京し「中央新聞」記者となる。大正14年「文芸戦線」に発表した「烈日」がみとめられ,女性プロレタリア作家の草分けとなった。昭和12年12月18日死去。46歳。東京出身。遺稿集に「帰郷」がある。 本文内容見本 3 雨の回想 若杉鳥子 ゆうべからの雨はとうとう勢いを増して、ひる頃から土砂降りになった。樹の葉は青々と乱れ、室内の物影には、蒼黒い陰影がよどむ。 私は窓から、野一面白い花でうごめいている鉄道草の上に、雨のしぶくのを見ていたが、私はいつか知らない土地で、何時 霽《は》れるとも知れぬ長雨にあって、やはりこうして降る雨をみつめていた、子供の時の気持ちを思い出した。 それは何処の土地だか知れないが、向こうの神社の杜の中から、お神楽の太鼓が響いて、時々子供達の騒ぐ声が、波のようにきこえて来た。向こうの藁葺屋根の暗い軒端に、祭礼と書いた赤い万灯が立て掛けてあって、それが雨に濡れて字が滲み、ぽたぽたと赤い雫を落としていた。私は何ともいえない、うら悲しい気持ちで、その百姓家の窓から、これらの風物を見つめていたのだった。だが、「もう帰ろうよゥ」ともいい出せない、せっぱ詰まった事情でそこに雨宿りしているということは、子供ながらに知っていた。そして帰りたいのを凝と堪えていたのだった。 それは多分、私の里子にやられていた家の親達が、もう百姓の仕事を止めて、旅商人になってからのことだったと思う。 代表作品 浅間山麓 旧師の家 職業の苦痛 棄てる金 母親 独り旅 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.591若杉 鳥子全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
591 | 1 | 若杉 鳥子 | 浅間山麓 | 2732 |
591 | 2 | 若杉 鳥子 | 新しき夫の愛 牢獄の夫より妻への愛の手紙 | 8766 |
591 | 3 | 若杉 鳥子 | 雨の回想 | 2249 |
591 | 4 | 若杉 鳥子 | ある遊郭での出来事 随筆 | 5804 |
591 | 5 | 若杉 鳥子 | 旧師の家 | 1954 |
591 | 6 | 若杉 鳥子 | 職業の苦痛 | 4678 |
591 | 7 | 若杉 鳥子 | 棄てる金 | 2016 |
591 | 8 | 若杉 鳥子 | 母親 | 7254 |
591 | 9 | 若杉 鳥子 | 独り旅 | 1943 |
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名作速読朗読文庫vol.592海若 藍平全集 読上機能付き海若 藍平 1889年(明治22年)1月4日 – 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に夢野 久作、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。禅僧としての名は雲水(うんすい)と称した。父は、玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸。長男はインド緑化の父と言われる杉山龍丸。三男の杉山参緑は詩人となった。日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇色と幻想性の色濃い作風で名高い。またホラー的な作品もある。詩や短歌にも長け、同時代の他の作家とは一線を画す作家である。 本文内容見本 1 青水仙、赤水仙 海若 藍平 夢野久作 うた子さんは友達に教わって、水仙の根を切り割って、赤い絵の具と青い絵の具を入れて、お庭の隅に埋めておきました。早く芽が出て、赤と青の水仙の花が咲けばいいと、毎日水をやっておりましたが、いつまでも芽が出ません。 ある日、学校から帰ってすぐにお庭に来てみると、大変です。お父様がお庭中をすっかり掘り返して、畠にしておいでになります。そうしてうた子さんを見ると、「やあ、うた子か。お父さんはうっかりして悪い事をした。お前の大切な水仙を二つとも鍬《くわ》で半分に切ってしまったから、裏の草原《くさはら》へ棄ててしまった。勘弁してくれ。その代り、今度水仙の花が咲く頃になったら、大きな支那水仙を買ってやるから」 とおあやまりになりました。 うた子さんは泣きたいのをやっと我慢して、裏の草原《くさはら》を探しましたが、もう見つかりませんでした。そうしてその晩 蒲団《ふとん》の中で、「支那水仙は要らない。あの水仙が可愛いそうだ。もう水をやる事が出来ないのか」といろいろ考えながら泣いて寝ました。 代表作品 青水仙、赤水仙 犬と人形 お菓子の大舞踏会 キキリツツリ 白椿 章魚の足 ドン 雪の塔 若返りの薬 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.592海若 藍平全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
592 | 1 | 海若 藍平 | 青水仙、赤水仙 | 1405 |
592 | 2 | 海若 藍平 | 犬と人形 | 1527 |
592 | 3 | 海若 藍平 | お菓子の大舞踏会 | 3359 |
592 | 4 | 海若 藍平 | キキリツツリ | 3135 |
592 | 5 | 海若 藍平 | クチマネ | 3536 |
592 | 6 | 海若 藍平 | 黒い頭 | 1886 |
592 | 7 | 海若 藍平 | 白椿 | 2795 |
592 | 8 | 海若 藍平 | 章魚の足 | 633 |
592 | 9 | 海若 藍平 | どろぼう猫 | 1338 |
592 | 10 | 海若 藍平 | ドン | 890 |
592 | 11 | 海若 藍平 | 虫の生命 | 2987 |
592 | 12 | 海若 藍平 | 雪の塔 | 5176 |
592 | 13 | 海若 藍平 | 若返り薬 | 3242 |
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名作速読朗読文庫vol.593犬田 卯全集 読上機能付き犬田 卯(いぬた しげる、1891年8月23日 – 1957年7月21日)は、日本の小説家、農民運動家。茨城県稲敷郡牛久村(現牛久市)の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京、1917年博文館に勤務、1924年中村星湖らと農民文芸研究会を作り、雑誌『農民』を刊行し、小説家として活動した。妻は住井すゑ。次女は毎日新聞初の女性論説委員・増田れい子。孫は画家のHATAO、その妻は絵本作家の永田萠。 本文内容見本 2 おびとき 犬田卯 一 「いつまで足腰のたたねえ達磨《だるま》様みてえに、そうしてぷかりぷかり煙草ばかりふかしているんだか。」早口に、一気にまくしたてる女房のお島であった。「何とかしなけりゃ、はアすぐにお昼になっちまア、招ばれたもの行かねえ訳にいくかよ、いくら何だって――」 向う隣の家に「おびとき」祝があって――もっとも時局がら「うち祝」だということだが、さきほどおよばれを受けたのであった。「ほんの真似事ですがね、おっ母さんと子供らだけ、どうか来ておくんなせえよ。」「そうですけえ、まア、おめでとうござんすよ――じゃア、招ばれて行きますべよ。」とは答えざるを得なかったものの、さて招ばれてゆくには、村の習慣として、ただでは行けなかった。三十銭や五十銭は「襟祝い」として包まなければならぬ。そしてその三十銭が――子供らは連れてゆかず、彼女ひとりゆくことにして――いま、問題だったのである。 鶏は寒さに向ってからとんと卵は生まなかった。春先から夏へかけての二回の洪水と、絶えざる降雨のために、田も畑も殆んど無収穫で、三人の子供らの学用品にさえ事欠くこの頃では、お義理のためにただ捨てる(実際、そう思われた)金など、一文も彼女は持たなかったのである。 ところで「何とかうまく口実をつけて行かなけりゃそれまでだ。」 代表作品 おびとき 錦紗 競馬 荒蕪地 瘤 米 沼畔小話集 橋の上 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.593犬田 卯全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
593 | 1 | 犬田 卯 | 一老人 | 3394 |
593 | 2 | 犬田 卯 | おびとき | 2959 |
593 | 3 | 犬田 卯 | 錦紗 | 11429 |
593 | 4 | 犬田 卯 | 競馬 | 4318 |
593 | 5 | 犬田 卯 | 荒蕪地 | 11816 |
593 | 6 | 犬田 卯 | 瘤 | 20185 |
593 | 7 | 犬田 卯 | 米 | 22220 |
593 | 8 | 犬田 卯 | 沼畔小話集 | 17306 |
593 | 9 | 犬田 卯 | 橋の上 | 5749 |
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名作速読朗読文庫vol.596妹尾 アキ夫全集 読上機能付き妹尾 韶夫(せのお あきお、1892年(明治25年)3月4日 ‐ 1962年(昭和37年)4月19日)は、日本の翻訳家・探偵小説作家。創作では妹尾アキ夫名義での活動が多い。岡山県津山市生まれ。早稲田大学英文科卒業後、1922年(大正11年)頃から雑誌『新青年』等で英米中心の探偵小説の翻訳を手がける。アガサ・クリスティーの翻訳が特に多かった。1925年(大正14年)以降はアキ夫名義で創作も手がけ、30-40作ほどの短編を発表している。また、『新青年』で月評を担当していた胡鉄梅、『宝石』で月評を担当していた小原俊一は、共に妹尾の変名だといわれている。 本文内容見本 3 凍るアラベスク 妹尾韶夫 一 風の寒い黄昏《たそがれ》だった。勝子《かつこ》は有楽町駅の高い石段を降りると、三十近い職業婦人の落着いた足どりで、自動車の込合った中を通り抜けて、銀座の方へ急いだ。 勝子は東京郊外に住んではいても、銀座へは一年に一度か二度しか来なかった。郊外の下宿から、毎日体操教師として近くの小さい女学校に通うほかには、滅多に外に出たことがなかった。 やや茶色がかった皮膚には健康らしい艶《つや》があって、体全体の格好がよくて背の高い彼女は、誰が見てもどちらかと云えば美人に違いなかったが、それでもまだ家庭と云うことを考えたことはなかった。それには別に変った理由があるわけではない。ただ彼女は結婚と云うものを、そんなに楽しいものと思わないまでである。世の中の大部分の人は、みないいかげんな結婚をして、とにかく表面だけは楽しげに見えても、立入ってみればそれぞれ不幸を抱いている。それより冷徹した冬の大空を昇る月のように――この月に自分を例える時には彼女はいつも涙ぐましいほど浄化された気持になれた――自由に純潔でありたいと思った。彼女は淋しいのが好きだった。それに彼女には仕事と云うものがある。彼女は満身の愛を生徒たちに捧げた。 代表作品 歌う白骨 オスカー・ブロズキー事件 凍るアラベスク 第三者 マカーガー峡谷の秘密 予謀殺人 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.596妹尾 アキ夫全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
596 | 1 | 妹尾 アキ夫 | 歌う白骨 | 29236 |
596 | 2 | 妹尾 アキ夫 | オスカー・ブロズキー事件 小説 | 38491 |
596 | 3 | 妹尾 アキ夫 | 凍るアラベスク | 10500 |
596 | 4 | 妹尾 アキ夫 | 第三者 | 4311 |
596 | 5 | 妹尾 アキ夫 | マカーガー峡谷の秘密 小説 | 6873 |
596 | 6 | 妹尾 アキ夫 | 予謀殺人 | 9305 |
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名作速読朗読文庫vol.597根岸 正吉全集 読上機能付き根岸 正吉 1892-1922 大正時代の詩人,社会運動家である。明治25年生まれ。社会主義運動に共鳴し,工場ではたらきながらN.正吉の名で「新社会」などに詩を発表。大正9年日本社会主義同盟の結成に参加した。大正11年11月12日死去。31歳。群馬県出身。伊勢崎工業卒。詩集に「どん底で歌ふ」(共著)。 本文内容見本 2 織工 根岸正吉 この一顆を大杉栄氏に呈す 彼は真の技術者にてありき。 躯幹偉大に筋骨たくましく 色浅黒き男なり。 其眼を見よ。 何物かを求めて止まぬ いずこにか何かを認めし其眼を見よ。 彼の父は放浪の織工《おりこう》なりき 彼の母は優しき心の美しき容《かたち》の織工なりき。 帝都の郊外なる海近き 同じ工場に働く内に 若い血は若い血を呼んで 人も羨む美しき恋に落ちぬ。 代表作品 織工 場外 須賀爺 労働者大会 我は労働者よ こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.597根岸 正吉全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
597 | 1 | 根岸 正吉 | 落ちぬ血痕 | 430 |
597 | 2 | 根岸 正吉 | 織工 | 849 |
597 | 3 | 根岸 正吉 | 場外 | 201 |
597 | 4 | 根岸 正吉 | 須賀爺 | 298 |
597 | 5 | 根岸 正吉 | 労働者大会 | 143 |
597 | 6 | 根岸 正吉 | 我は労働者よ | 234 |
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名作速読朗読文庫vol.598百田 宗治全集 読上機能付き百田 宗治(ももた そうじ、1893年1月25日 – 1955年12月12日)は日本の詩人、児童文学者、作詞家。本名は百田宗次。大阪府出身。 1911年ごろより詩を書き始め、1915年に個人雑誌『表現』を発行。翌1916年に詩集『一人と全体』を発表。詩の傾向としては人道主義的・民主主義的傾向で、1918年に創刊された『民衆』を契機として民衆詩派の一員として数えられるようになる。その後『椎の木』あたりからはモダニズムを取り入れた俳句系の詩風へ変化し、1932年ごろより児童詩・作文教育に携わるようになる。1986年、『にれの町』(絵:小野州一)が第33回産経児童出版文化賞美術賞受賞。 本文内容見本 1 君達に送る――新しい民衆の精神 百田宗治 いま僕は君達に書く、 最も新しい名で君達をよび、 僕のあらゆる精神をこめて。 君達は知っているか、 いま僕等がどんな時代にいるかと云うことを、 いま時代がどんな方に動いているかと云うことを、 おお君達の生誕を待っていた世界、 君達はあの声をきくだろう、 澎湃として起ってくる声、 いまや世界のあらゆる隅々から、 あらゆる国土を充して、 すべてのものの胸を開かしめる、 新しい民衆の精神を。 代表作品 君達に送る 新しい民衆の精神 騒擾の上に 地を掘る人達に 夕暮の別荘地に歩み入る兵士たち 労働の精神 露西亜よ汝は飛ぶ随筆 五月祭の朝 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.598百田 宗治全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
598 | 1 | 百田 宗治 | 君達に送る――新しい民衆の精神 | 1153 |
598 | 2 | 百田 宗治 | 騒擾の上に | 709 |
598 | 3 | 百田 宗治 | 地を掘る人達に | 811 |
598 | 4 | 百田 宗治 | 夕暮の別荘地に歩み入る兵士たち | 326 |
598 | 5 | 百田 宗治 | 労働の精神 | 303 |
598 | 6 | 百田 宗治 | 露西亜よ汝は飛ぶ 随筆 | 476 |
598 | 7 | 百田 宗治 | 五月祭の朝 | 859 |
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名作速読朗読文庫vol.599陀田 勘助全集 読上機能付き陀田 勘助 ダダ カンスケ は大正・昭和期の詩人 である。「種蒔く人」「無産詩人」や朝日、読売など新聞に革命的詩を発表し認められた。松本淳三らと詩誌「鎖」を発行、編集に加わった。 14年アナーキズム系詩誌「黒旗」を編集。昭和の初めから詩作をやめて労働運動に転じた 本文内容見本 2 おれの飛行船 陀田勘助 おれは白蟻のように噛み切ることはできない おれは飛行機のように軽快に空を飛ぶことはできない だが脳髄の中の空間に飛行船を遊歩させることはできる現在の頁を空白に削りとられた者の前には 明日の希望が堂々と逍遥し始める 代表作品 ある日 おれの飛行船 全体の一人 断片 たんぽぽとおれの感傷 手をさし延べよう!随筆 春がふたたび牢獄にやってきた! 二人の子持ちになった労働者のおっ母あに送る こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.599陀田 勘助全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
599 | 1 | 陀田 勘助 | ある日 | 331 |
599 | 2 | 陀田 勘助 | おれの飛行船 | 239 |
599 | 3 | 陀田 勘助 | 全体の一人 | 486 |
599 | 4 | 陀田 勘助 | 断片 | 455 |
599 | 5 | 陀田 勘助 | たんぽぽとおれの感傷 随筆 | 226 |
599 | 6 | 陀田 勘助 | 手をさし延べよう! 随筆 | 1054 |
599 | 7 | 陀田 勘助 | 春がふたたび牢獄にやってきた! | 440 |
599 | 8 | 陀田 勘助 | 二人の子持ちになった労働者のおっ母あに送る 随筆 | 473 |
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名作速読朗読文庫vol.600佐々木 邦全集 読上機能付き佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 – 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者である。 弟・順三は立教大学総長。静岡県駿東郡清水村(現清水町 (静岡県))生。 国際マーク・トウェイン協会名誉会員。1961年児童文芸功労賞。1962年紫綬褒章。81歳の時、心筋梗塞のために死去。日本のユーモア小説の先駆けにして第一人者。学生時代より、夏目漱石、マーク・トウェイン、ジェローム・K・ジェローム等の欧米のユーモア作家に影響され、多数執筆。その作風は、良識に裏打ちされたユーモアに富み、昭和初期のサラリーマン階級を舞台に、家庭的な笑いに焦点を当てている。そのうち18作品は映画化されている。1974年に講談社から15巻の佐々木邦全集が出版された。會田雄次は彼を評して、「佐々木邦氏は、もし日本語という言葉の障壁がなかったら、世界でもっとも知られたユーモア作家の一人になっていただろう。」と書いている。 本文内容見本 4 英米笑話秀逸 佐々木邦 笑いを好む英米人は笑話を重んじる。食卓では笑話が社交を扶《たす》ける。カナダのユーモリスト、スチーヴン・リーコック氏はアメリカ笑話の秀逸として、次の「バッファローで投げ出された男」を推奨している。以下並べたものは、私自身の記憶による。疎開先で参考書がない。もっと優秀なものを伝え得ないのを遣憾とする。 バッファローで投げ出された男 「わしはナイヤガラの滝を見物するんだからバッファローで下りる。バッファローは何時頃になるかね?」 と一人の旅客が寝台車のボーイに訊いた。 「夜明けになります」 「よし、頼むよ。わしは寝坊だから、ナカナカ起きないかも知れない。構わないから、バッファローに着いたら、四の五の言わせず、この荷物ぐるみプラットフォームへ投り出してくれ給え」「承知いたしました」 翌朝、旅客が目を覚ましたら、もう日は高く、バッファローはとうに通り越していた。ボーイを呼びつけて責めると、「はてね、それじゃ先刻バッファローで投り出した人は誰だったろう」 代表作品 朝起の人達 或良人の惨敗 一年の計 英米笑話秀逸 恩師 閣下 苦心の学友 女婿 こちらをクリックすると商品がご利用できます–> 名作速読朗読文庫vol.600佐々木 邦全集 読上機能付き |
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vol | 件数 | 作家名 | タイトル | 文字数 |
600 | 1 | 佐々木 邦 | 朝起の人達 | 6631 |
600 | 2 | 佐々木 邦 | 或良人の惨敗 | 7343 |
600 | 3 | 佐々木 邦 | 一年の計 | 6873 |
600 | 4 | 佐々木 邦 | 英米笑話秀逸 | 2017 |
600 | 5 | 佐々木 邦 | 恩師 | 6802 |
600 | 6 | 佐々木 邦 | 閣下 | 7683 |
600 | 7 | 佐々木 邦 | 苦心の学友1 | 93428 |
600 | 8 | 佐々木 邦 | 苦心の学友2 | 79466 |
600 | 9 | 佐々木 邦 | 女婿 | 21428 |