蜻蛉日記/右大将道綱母 <あらすじ、要約>
蜻蛉日記 は、一夫多妻の平安時代に、浮気性の夫をもった女性の赤裸々な日記で、日本最古の 女流 日記文学でもあります。
作者は 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)は、その頃の 3大美人 のひとりに数えられていたほどの美貌の持ち主でした。
彼女はけっして生まれつき身分が高かったわけではありませんが、持ち前の美しさと、和歌の高い才能によって 藤原兼家 にみそめられ、一気に高貴な身分となりました。
右大将道綱母 の姪にあたる 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は 更級日記 を書き記しています。
藤原兼家 は藤原家の繁栄に大きく貢献した人物です。ただし、一見華やかにみえる作者も、実際の生活では、夫の浮気に嫉するなどいつも不満を抱えていたようです。
夫が家に来たけれども、嫉妬心からしばらく無視していると別の女性のところに行ってしまった などと書かれています その後に作者が送った和歌には 悲しい という言葉とともに、枯れかけた菊を添えています。
蜻蛉日記 は物語の内容自体も高く評価されていますが、素晴らしい和歌が多数収録されていることでも当時から絶賛されていました。
蜻蛉日記 は現代語訳なら非常に読みやすいですが、かなり長い文章です
現代に残っている 百人一首 でも、
なげきつつ ひとり寝(ぬ)る夜の あくるまは いかに久しき
ものとかは知る
が収録されています。
蜻蛉日記/右大将道綱母<あらすじ 要約>
□ 高貴な男と結婚した私の生活を正直に記せば、めずらしく思われることでしょう
□ 私 は19歳の時に 藤原兼家(かねいえ)から求婚されました
□ 彼にはすでに正妻がおり、私自身もそれほど乗り気ではなかったが、彼の熱烈なアプローチに折れ、
最終的には結婚することになりました
人知れず いまやいまやと 待つほどに かへりこぬこそ わびしかりけれ( 兼家の歌)
(あなたからの返事を 今か今かと待っているのに 返事がいっこうに来ず 私は寂しい思
いをしています)
□ すぐに私たちの間には2人の子供が生まれ、始めのうちは夫も私のもとへ足繁く通ってくれました
□ ところが、しばらくすると夫は別の女にご執着のようです
うたがわし ほかに渡せる ふみ見れば ここやとだえに ならむとすらむ
(ほかの女性への手紙をみてしまうと 私のところに通う足は 途絶えてしまうのかしら)
□ 3日ほど私を放っておいたかと思うと、平然と私を試しただけだなどとウソぶくありさまです
□ ある朝、夫が門をたたく音があったが、私はもううんざりして無視してやりました
□ そうしたら思った通り、夫は別の女のところに行ってしまいました
□ 翌朝、私は枯れかけた菊に和歌を挿して夫に送りました
なげきつつ ひとり寝(ぬ)る夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る
(あなたが来ずに嘆き続け 一人で寝る夜が明けるまでが どれほど長く悲しいものか
あなたは知っていますか?;扉を開くことすら待てないあなたでは お分りにならないで
しょうね。)
□ やがて、夫が通っていた女が身ごもり出産するということです
□ 夫とその女が、自宅の前を平然と通り過ぎていくことがあり、私をバカにしているとしか思えないわ
けです
□ 女が無事に子供を産むと、ようやく夫は何気ない顔で私の前に現れました
□ 私はたびたび夫を追い返したが、夫にはまったく懲りた様子がないのです
□ もういっそ私のもとへ来なくてもいいのにと、長いこともやもやしていたが、あの女の子供が死んだ
と聞いてやっと心が落ち着いたのであります
□ しばらくして、私は夫の家に住むことになりました
□ しかし夫は今だに懲りずに、別の女のもとにばかり通っています
三十日(みそか) 三十夜(みそよ)は わがもとに
(毎晩毎晩、私のところに来てほしい)
□ 私も次第に年を取っていきます
□ もうかつての美貌は薄れ始め、夫に愛想をつかされても仕方がないのかもしれません