古事記/太安万侶 <あらすじ 要約>

古事記/太安万侶

 

古くは「フルコトブミ」と読まれていたといわれます。

構成は、「序」を巻頭に上中下3巻からなり、「序」には成立事情と、和銅4年(711年)に太安万侶が元明天皇の命により稗田阿礼の誦み習うところを筆記し、天皇に献上したことが記されています。

 

【上巻】

高天原(たかまがはら)に現れた三神の話から始まり、神々の系譜をたどって、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の男女二神が出現します。天の沼矛(ぬぼこ)で柔らかい国土をかきまわし、矛先から垂れた塩が積もってできたオノコロ島に下って結婚します。

 

二神は次々に島を生み神々を生みますが、最後に火の神を生んだので、イザナミは焼かれて死んでしまいます。イザナギは黄泉国(よみのくに)へイザナミを訪ねて行きますが、醜く変わり果てたイザナミの体を見て逃げ帰り、けがれを祓うため禊(みそ)ぎ祓いをします。そのとき天照大御(アマテラスオオミカミ)神、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)が誕生します。

 

スサノオノミコトは、イザナギの命令に従わなかったので追放されます。姉のアマテラスオオミカミをたよって高天原に来た彼があまりに乱暴するので怒った姉は、天の岩屋戸に隠れてしまいます。八百万(やおよろず)の神々が相談し、天宇受売命(アメノウズメノミコト)の裸の踊りで、岩屋戸は開きます。スサノオノミコトは高天原からも追放されてしまいます。

 

このあと出雲に下ったスサノオノミコトによる、肥の河での八股大蛇(ヤマタノオロチ)退治、スサノオノミコトの子孫である大国主命(オオクニヌシノミコト)の恋愛事件と、稲羽の兎の話があり、いわゆる天孫降臨および国譲りをへて、海幸彦、山幸彦の話にいたります。

 

【中巻】

初代神武天皇から第15代応神天皇までの時代です。神武天皇の東征から始まり、皇位継承の順序に従って、天皇に関する記録が記載されています。その間に神話や伝説、歌物語が挿入されています。主な事件として、神社の設置、四道将軍の派遣、税の制定、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の諸国平定の武勲物語およびその悲劇的な死です。さらに地方区分の制定と県主の設置、神功(じんぐう)皇后の外征、応神天皇時代の百済の入貢などがあります。

 

なお、第2代から9代までは欠史八代とよばれ、系譜などの記録にとどまり、説話などは記載されていません。

 

 

【下巻】

仁徳天皇から推古天皇までの時代です。まず仁徳天皇時代の賦役免除の話、氏姓の整備、雄略天皇のところでは、美しい古代歌謡が記録されています。なお、第24代仁賢天皇から第33代推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠史八代と同じく系譜などの記録にとどまりますが、こちらは、書かれた当時においては時代が近く自明のことなので書かれなかったのではないかとされます。

 

『古事記』は、大和朝廷の政治的立場が安定した時期に、その権威をさらに確立するために編纂されました。神話、伝説、天皇家や豪族の家々に伝わる伝承史実などをもとに作成されたので、科学的根拠は薄いです。

 

なお、『古事記』とならんで編纂された『日本書紀』は、舎人親王以下太安万侶も編纂に当たり、養老4年(720年)5月に献上された。『古事記』と比べると、歴史書として史料重視の立場に立ち、異なった伝承のあるときは、「一書に曰く」として幾通りも併記されています。

 

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