更級日記/菅原孝標女 <あらすじ、要約>

更級日記/菅原孝標女 <あらすじ、要約>

 

更級日記 の作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)という貴族の女性で、伯母は蜻蛉日記(かげろうにっき) の作者である 藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは) にあたります。
伯母さんが初めて女性による日記文学 を確立し、そのあとをついで彼女も日記を書いたのです。

ただし、日記 とはいっても、読み物として強く意識されていて、日記風の自叙伝といった内容です。
更級日記 が書かれたのは1060年頃で、平安時代の後期にあたりました。
当時は藤原家の権力が衰え始めている頃であり、貴族の中で生きてきた女性の日記は非常に文学的価値が高いと評価されています。

物語を通して 読みやすい文体で書かれていて、とくに 月 に関係する和歌が多く収録されています。

更級日記は現代語訳であれば十分に楽しめる物語です

更級日記   の展開としては、

10歳代 —> 物語に夢中

20歳代 —> 信仰心が全然ない

30歳代 —> 結婚&出産で、現実と向き合う

50歳代 —> 夫を亡くし、信仰心を強める  という展開です。

 

更級日記<あらすじ 要約>

□ 私は小さい頃から光 源氏(源氏物語の主人公)が大好きで、物語の世界にあこがれていました

□ 私が13歳の頃、父の転勤で上京することになりました

□ 途中で病気にかかってしまうこともあったが、私は京に着くと、親に物語をせがみました

□ 母は私にいろいろな物語を与えてくれたが、私は源氏物語が本当は読みたいと心では思っていました

□ ちょうどその頃、なついていました継母が父と離婚し、私を育ててくれた乳母は亡くなってしまいました

散る花も また来む春は 見もやせむ やがて別れし 人ぞ悲しき

(散っていった花は また来年の春にみることができるだろう しかし一度別れてしまった人には もう会うことはできず 悲しく恋しいよ)

□ 私はしばらく塞ぎこんでいましたが、14歳の頃、親戚から 源氏物語全巻と伊勢物語を頂きました

□ 私はあまりにうれしく、一気に飛び跳ねるように心が踊りました

□ 私も将来はきっと、夕顔や浮舟のように立派な女性になるだろうなと密かに思っていました

□ ところが16歳の頃、火事で家がなくなり、大切にしていた猫も死んでしまいました

□ さらにそのすぐ後、姉が子供を出産したあとに亡くなりました

なぐさむる かたもなぎさの 浜千鳥 なにかうき世にあともとどめむ( 母の乳母の歌)

(浜辺にいる千鳥が 自らの足跡を残すことができないように 私にはもう姉君を思いを残すことはできません これ以上悲しき俗世に留まっていることはできないのです)

□ 私も悲しみに暮れたが、それでも物語への愛着は捨てきれず、仏様への信仰はおろそかにしていました

□ 26歳の頃には、僧侶に信仰心がないことを叱られたほどでした

□ 29歳の頃、母が出家したので、私が家の仕事を任されるようになりました

□ 32歳の頃、私は宮仕えの仕事に就きましたが、翌年には親の勧めでなんとも冴えない男性と結婚することになりました

□ 結婚生活は窮屈だし退屈で、物語の世界とあまりにかけ離れていました

□ 38歳の頃、夫との間に男の子をもうけ、すでに私は今の現実と向き合うようになっていきました

□ 夫が無事に出世し、子供が立派な人に育つように心から願っていました

□ 51歳の頃、夫が病にかかり、亡くなりました

□ 私がもっと、子供のころから信仰深ければこんな結果にはならなかったのでしょうか

□ 今さら考えても遅いかもしれないが、これからはより一層、仏業に励むことにしましょう

 

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